でんでんむしカンパニーとは

ABOUT US

使われなくなってしまったものへ
ちょこっと手を加えて未来へ繋がる
モノ・コトづくりをしています。

古いものや伝統的なものが持つ、時間だけが生み出せる風合いや、大量生産品にはない独特の温もり。そして、自然と共に生きる知恵や工夫。今は使われていなかったとしても、磨けば彩をもって輝き、私たちに大切なことを伝えてくれます。私たちは、使われなくなったものへちょこっと手を加えて、未来へつながるモノ・コトづくりをしていきます。でんでんむしのように、ゆっくりでも、自然とよりそいながら。そして多くの方と関わりながらだんだんと広がっていきますように。

事業紹介

みんなでつくった
小さな宿のん

築100年を超える、使われていなかった古民家。山あいの静かな集落や家族の営みをじっと見守り続けてきた存在です。柱や梁に使われている材は今も息をし続けています。そんな古民家を全国のたくさんの人たちと改修して、小さなお宿を営んでいます。

南三陸藍

日本ではおなじみの染料「藍」は昔から庶民の生活には欠かせないものでしたが、科学染料に取って替わられ、貴重なものとなってしまいました。農業の担い手の減少により増えている耕作放棄地を活用して、藍を栽培し、藍製品の制作・販売をしています。

カワドマ

日本家屋において「土間」とは、ちょっとした作業をしたり、近所の人がふらっと立ち入ったりと、ウチと外をつなぐ空間です。宿の宿泊者のいない時間を解放し、プライベートでも公共空間でもない、そんな「居場所」を提供します。

私の夢は、「みんなが心地の良い生き方をしている社会」をつくることです。

人によって、心地のいい環境や暮らし方は異なるかと思いますが、
それぞれが、自分の心や体に素直になって、自分にとって、
居心地の良い場所、働き方、暮らし方に出逢い、それを選択できるような社会になっていってほしいです。

私自身、「暮らしを大切にしたい。」という想いを抱きながら、
具体的には娘との時間と仕事集中時間のバランス、内省する時間、有限な時間の中で何を優先させていくかなど、
心地いいポイントを模索しながらの日々が続いています。
このような試行錯誤の日々も含めて、こんな暮らし方もあるんだな、と、みなさんの選択の参考となれば幸いです。

払川という場所は、たくさんの自然や生き物と、その中で暮らす人々の気配が混ざり合う
昔から変わらぬような穏やかでやわらかな空気に包まれています。

この場所や、ここの自然の力を借りてつくられたものたちが、
日常で受けた疲れや刺激を解放し、
みなさんの心や身体に癒しとエネルギーをおすそわけできたら嬉しいです。

動きが速く、たくさんの情報に翻弄されてしまいそうな現代社会ですが、
小さくとも、しなやかで持続可能な活動をひろげていきたいと思っています。

プロフィール

氏名 中村 未來(なかむら みく)

1987年東京都府中市生まれ。高校卒業後、建築と環境学を学ぶために鳥取環境大学環境情報学部環境デザイン学科へ進学。2010年大阪の一級建築士事務所に入所。2011年東日本大震災のボランティア活動時に対話した現地の方の声に強く心が動かされ、被災地の現場で暮らしを取り戻すお手伝をしたいとの想いが生まれた。2012年ご縁をいただいた南三陸町に、復興応援隊制度を利用し移住。南三陸町観光協会でツアーの受入や簡易宿所許可取得や民泊の推進を主に担う。地域と関わる中で、復旧・復興の課題とは別に地域課題も多く存在することに気付き、有志数名と耕作放棄地を活用した活動(2014年-)と、空き家を活用して小さな宿をつくる活動(2015年-)をスタート。その後、それぞれの活動を本格的に進めるために、2017年合同会社でんでんむしカンパニーを設立。地域内外1,000名を超える方たちの力も借りて、2021年みんなでつくった小さな宿のん/カワドマ オープン。南三陸藍事業も試行錯誤しながら展開中。 結婚、出産、離婚を経験し、現在は3歳の娘と日々を紡ぐ。好きなもの・ことは、スキーとすいかとお気に入りの器で愉しむお酒の時間。

会社概要

会社名

合同会社でんでんむしカンパニー

代表社員

中村未來

会社設立

2017年3月13日

事業金

1,000,000円

事業内容

・耕作放棄地を活用した藍の栽培、藍商品の販売
・「みんなでつくった小さな宿 のん」の運営
・古材や南三陸杉を活用した木製品・家具作り
・里山活性や、移住定住促進に関する業務
・各種体験・ワークショップの企画・実施
・その他、再生や暮らしに関わること

本社

〒988-0477
宮城県本吉郡南三陸町歌津字払川76
TEL.090-3846-7880

従業員数

3名

STORY

わたしたちの活動の足跡や、代表の想いを綴ります。

払川という場所について

私が南三陸で活動を始めた理由