私が南三陸で活動を始めた理由

2012年夏、私は初めて南三陸町を訪れました。

人々の暮らしがあったはずの町にその様子はうかがえず、ただそこには、家の基礎だけが残りとてもとても薄い面影だけがその場所にはありました。

2011年の夏に、ボランティア活動のため、被災された宮城県沿岸地に数日間滞在をし、私はそこで、被災された方と言葉を交わす機会をいただきました。

 

―「またこの地で暮らしたい。」

 

それまで、メディアから流れてくる映像や声は、津波で飲み込まれた悲惨な様子と避難所での様子が多く、「人々の暮らし」がそこにあったことを私はきちんと想像できていなかったんだと思います。

当たり前なことなのに、現地で、そこに暮らしていた方からの言葉を聞いて、「日常の暮らし」を突然奪われた悲しみ。
そして、こんなにも辛い思いをしたにも関わらずこの地での暮らしを諦めずに、またここで暮らそうと思える気持ち。
そう思わせるこの地の魅力。

その経験を受けて、私も微力ながら、ここにいる皆さんの暮らしを少しでも早く取り戻せるお手伝いをしたいと強く思うようになりました。

 

そして、暮らしを取り戻すお手伝いをするには、まず、この地の風土を知らなくてはならない。そして風土を知るためには、1週間や1か月程度の滞在では把握しきれない。短くとも全ての季節に触れることのできるよう1年間はいなくては、と思いました。

 

その後、大阪での仕事を辞め、ご縁をいただいた南三陸町に復興応援隊制度を活用しやってきました。

 

1年間の期限付き、のつもりが、海も山も空も、たくさんの美しい自然。
海の幸・里の幸・山の幸、たくさんの美味しい味。
そして何よりも、悲しみを抱えながらも、前を見て力強く歩みを進めるエネルギー溢れるたくさんの町の方たち。

 

来訪後2、3か月後には南三陸町のことが大好きになり、まだこの場所にいたい、と強く思う自分がいました。

 

大好き!まだここにいたい!

 

と思う一方で、仕事柄、来町初期の頃から町の方々とお会いする機会を多くいただき、その中で、震災からの復旧・復興という課題の他にも、日本全国にある、少子高齢化や耕作放棄地、空き家問題など、地域課題がこの南三陸町にも例外無くあることに気付きました。

これらの課題にも今からでも取り組まなければ、せっかく復興しても、町が未来へ続いていかないのではないかと懸念を抱き、大好きなこの町を未来へ続けていくために、私にもできることを小さなことでも取り組み始めたいと思いました。